アスペルガー

アンカー(信頼できる人)を探す、アスペルガーの嗅覚(息子-13)

ある事件をきっかけにして、アスペルガーの太郎は、ポンッとS先生の懐に入り、信用し始めました。

「叩く」のは、先生は良くても自分はダメ?

担任がS先生に代わってから1ヵ月ほどして、太郎が、隣の席の女の子を叩いてしまうという事件を起こしました。

S先生からは、「叩いてはいけないと指導しましたが、家庭でもよく話をしてあげてほしい」といった内容の電話がありました。

私は謝罪とお礼を言って電話を切り、太郎に事の顛末を尋ねました。

まず、太郎は非常に不満そうでした。

事情を聴くと、次のような内容でした。

隣の席の女の子が、「消火器型」の消しゴムを持っていた。
形が面白くて少し触ってみたら、女の子がものすごく怒った。
少し触ったぐらいで、あんなに怒るなんてひどいから、僕は叩いた。
だから、僕は悪くない。

それに、その日、S先生は、R(太郎の友達)を習字の時間に叩いていたというのです。

「なぜS先生は良くて僕はダメなんだ。僕にだって理由があったんだ。」といわけです。

太郎の話は、ある意味真理をついています。

S先生なら良くて、なぜ太郎はダメなのか。

アスペルガーの太郎らしい捉え方です。

自分が見たり感じたりしたことが現象の全てで、他の当事者から見た「自分とは違う思い」がある事を想像しづらいのです。

想像しづらいならなお更、今後、太郎が平和に社会生活を送るために、「叩いたら、叩いた時点で太郎が悪くなる。たとえ直前まで悪いのは相手だったとしても」ということを、分かってもらうことが現実的に必要でした。

でも、太郎は納得せず、話し合いは夜中の2時頃まで続き、太郎は、翌日学校を欠席しました。


学校に相談

翌日、太郎が昼寝をしている間に、私は学校に電話しました。

どうやって太郎に話したらよいものか、相談したかったのです。

S先生に叩かれたR君は、S先生が指導しているタグラグビー部に所属している子で、S先生とR君の間に信頼関係があるだろうと、私には想像がつきました。

もちろん、S先生が怒りにまかせて叩いたのではなく、指導の一環として許容できる範囲のものだったろうと、大人の私には想像できます。

その様子が体罰であるとは決して思わないので、それ自体を糾弾したい訳ではないが、このニュアンスは伝わるだろうか。

さてどう話したものか、かなりおっかなびっくりでした。

電話に出た教頭先生が、太郎の欠席の理由が体調では無かったことを糸口に、私の話を聞いてくれました。

上記のような微妙な話を、教頭先生は良くわかってくれた上で、「お母さん、この件、僕にあずからせてください」と言われました。

体罰うんぬんでS先生の立場が悪くなるという展開は、私の思うところではないと強く確認して、お任せすることにしました。

S先生は、アスペルガーの太郎にとっても信頼できる人

翌朝、S先生から「今日の放課後、太郎君と話し合いたいんです。太郎君の帰りがちょっと遅くなっても良いですか?」という電話がありました。

私は「よろしくお願いします」と答え、そのまま先生の言葉を太郎に伝え、学校に送りだしました。

S先生との話し合いを終え帰宅した太郎の様子は、なんとも晴れやかなものでした。

私が「どんなお話したの?」と聞いても、太郎は「いろいろ」と答えるだけで要領を得ません。

しばらくしてS先生から電話がありました。

「先生、なんだかすごく納得した様子でゴキゲンに帰って来たんですが、何をお話されたんですか?」と尋ねてみました。

「いやー、お母さん。たくさん話はできたんですけど、僕も太郎君が一体どこで納得してくれたのか、分からないんです。でも、なんか納得してくれたみたいで、握手して終りになって・・・。」ということでした。

一通り話の流れを伺ってみましたが、私にもどこで太郎が納得したのか分かりませんでした。

話す内容より話す姿勢が重要だった

その日を境に、太郎は人が変わったようにS先生を受け入れました。

宿題の提出も再開しました。

どうやら、「何を話したか」ではなく「膝を割って話し合った」ということが、重要だったのではないかと思います。

新学年スタート早々の担任交代という、大人もびっくりの展開に、まず太郎は軽くパニックを起こし、これまでの先生方とは何から何まで違うS先生自身に更に混乱します。

無視は、回避行動です。

私は、太郎の「授業不参加」や「宿題未提出」ばかりを問題視しましたが、太郎の視点から考えれば、一連の行動は、アスペルガーらしい反応で、理解できないものではないと気付きました。

太郎は、S先生が自分と話をしてくれたことによって、この人は信用できると感じたようなのです。

後日談

後に、中学生になった頃、S先生のことを話していて、そのことが確認できました。

「大きな円の外側から、大声で色々叫んでるけどよく分からない感じ。何か(太郎は事の展開を覚えていない)で先生と一対一で話して、初めてしゃべっている内容が分かった。分かってみたら、いい奴だった。俺ら(クラス)のこと、めっちゃ真剣に考えていた。」と話しました。

実は、アスペルガー症候群の特性として、抽象的な表現は、なかなか分かりづらいという特徴があります。

こんな抽象的な表現を使えるようになったことに驚きました。

また、やはりアスペルガー症候群の特性の一つとして、他人の視点を理解しにくい面があるので、自分の考えを母親が理解できたかどうか確認しながら、表現を配慮できるようになったことに、とても成長を感じました。

一人の信用は、その集団に伝染します。

アスペルガー症候群の特徴として、一度理解したことはブレない傾向があります。

一度信用してしまえば、それはなかなかゆるぎません。

その後、クラスがどんどんまとまっていくのが、参観日の度に感じ取れました。

太郎とS先生の間で誤解が深まる前に、早いタイミングで太郎が受け入れるきっかけがあって、本当に良かったと思っています。

アスペルガーの太郎は、自分で嗅ぎ分けないと、人を信頼できない

太郎のアスペルガー症候群の「他人の視点を理解しづらい」という点は、この言葉だけを聞くと「自分勝手なだけ」と想像しがちですが、実際にはかなり複雑な事態を作り出します。

この特徴のために、他人の指示に従うということは、アスペルガーの太郎にとっては、非常に抵抗のある行為なのです。

しかし、特に学校現場では「良く分からなくても、とりあえず受け入れる➝うまく行く」という場面は、とても多いと思います。

「➝」の中に隠れた理由は、後の方が理解しやすい場合もあります。

「他人の視点を理解しづらい」ために、アスペルガー症候群の人は、いちいち引っかかってしまいがちですが、アンカーになる存在がいれば、かなり受け入れやすくなります。

うまく行けば、次に挑戦する気持ちが萎えずにすみ、その積み重ねが、信頼を更に高めます。

普通、子供たちは先生を無条件に信頼しますが、アスペルガー症候群の太郎にとっては、その先生を信用できるかどうかは、自分で確認する必要があるようです。

アスペルガー症候群の人にとって、信用できる人を見分ける嗅覚は、生きて行く上で最も重要なスキルです。

こればっかりは、信用できる人に出会わないと磨けないスキルでもあります。

太郎は、出会う人に恵まれていると感じています。

アスペルガーの太郎は、「先生」という肩書だけでは、先生のことを信用しないのです。



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