アスペルガー

未知が苦手なアスペルガーには、アンカー(信頼できる人)の存在がとても重要(息子-12)

小学校3年生と3年生の担任・S先生との出会いが、太郎と私にとって思い出深いものになっています。

1・2年生で担任の先生に恵まれたので、進級しても同じように太郎のアスペルガー症候群を理解してもらえるだろうと、かなり楽観的でした。

アスペルガーは、先が見えないことに不安を感じる

4月から50代の超ベテラン先生が担任になり、余計な口出しはせず任せようと、私は完全に安心していました。

しかし、思いもよらない展開が待っていました。

太郎は、いつもその日の学校での出来事を話してくれていたのが、3年生になって減っていきました。

また、学校に行き渋る様子も出始め、不思議に思っていました。

太郎:「自習だった。つまんなかった。」
私:「何時間目が?先生が出張だった?」
太郎:「ううん。全部。」
私:「え?全部?先生どうしたの?」
太郎:「お休み。具合が悪いだったかな、理由はよくわからない。」
私:「そうか、風邪かな。明日は来るかな。」
太郎:「でも、(休み出して)もう一週間くらい経つよ?」
私:「えーーーーーーーー?!」

太郎は、当初純粋に自習を謳歌していたようです。

しかし、担任の不在が来る日も来る日も続き、見捨てられたような気がして、だんだん不安になっていったようです。

アスペルガー症候群の特徴として、太郎は、先の見通しが立たない事に強い不安を感じます。

担任の先生を頼りにして良いはずの存在として期待していたので、関係が始まる前から見捨てられたと感じたようです。

翌日、学校から「担任変更とそれに関する説明会」なる手紙が配布され、更に驚きました。

ゴールデンウィークを目前にした時期に担任が交代するという事態は、未だ他で聞いたことはありません。

アスペルガーの太郎にとって、環境の変化は天敵ですから、不安も文句もありました。

しかし、結果的には、クラスにとっても私と太郎にとっても、その時抜擢されたS先生との出会いが、素晴らしいものとなります。


熱血タイプの男の先生に馴染めないアスペルガーの太郎

新しく抜擢されたS先生は、一度食品会社に就職した後、教職に就いた27歳の方でした。

声も体も大きく、一目で「ラガーマン」と分かるような先生でした。

「補助という立場でしか教室に入ったことがないですが、彼の熱意は間違いないです。どうか信用してやってください。」と、校長先生(非常に保護者の信頼の厚い校長先生でした)が説明会で頭を下げられました。

保護者たちは、「ここでジタバタしても仕方ないので、どうかよろしくお願いします」という流れになりました。

担任が交代してしばらく、太郎はS先生を完全に無視しました。

まず、宿題を提出しません。

毎日きちんと宿題に取り組んでいるのに、提出しないのです。

宿題のノートに担任がチェックした形跡(「よくできました」や「見ました」などの判子)がないので気付きました。

当初は、出し忘れと思っていましたが、確信犯であることが判明して、私が諭しても、太郎は頑として提出しませんでした。

「声が大きく威勢が良い」に馴染めない

S先生は、太郎にとっては初めての男性の担任になります。

主人は物静かなタイプですし、当時所属していたボーイスカウトの指導者さんも子供対応の上手な優しいタイプの方たちでした。

S先生の大きな声や、迫力のある体格、元気な威勢の良い様子は、太郎にとっては馴染みが無く、怖かったんだと思います。

「いつも頭ごなしで、がーーーって怒ってる」は、その当時、太郎が私にS先生の様子を話した時の表現です。

私は、授業参観でS先生がどのような授業をするか、どのように子供たちに接しているかを観察しました。

まず、太郎の「いつも頭ごなしで、がーーーって怒ってる」が、誤解であるということが分かりました。

ただ声が大きくて、威勢が良いだけなのです。

体育会出身の宿命のようなものです。

先生は余裕がないので、必死に頑張っているだけでした。

しかし、太郎に私の観察結果(先生は別に怒ってなくて、こういうタイプ)を伝えても、太郎の態度は変わりませんでした。

アスペルガー症候群には、アンカー(信頼できる人)がとても重要

アスペルガー症候群など発達障害の子供たちは、学校などの集団生活の場では、とても不安と緊張を感じます。

その不安は、自動車免許取得のために教習所に通った人なら、第二段階の路上教習に出た時の感覚を思い出してもらえれば、その時の不安がかなり近いと思います。

路上を学校、教官を担任の先生に置き換えて想像してみてください。

助手席に座っている教官に絶対の信頼を寄せて、必死でハンドルを握ったあの感覚です。

車の操作すらおっかなびっくりなのに、標識やら信号やら、周りの車の状況やら、読み取るべき情報がどーっと押し寄せて、優先順位が分からない。

何か相当見落としているであろう不安の中で、車の流れに乗って行かないといけない。

クラクションが周りで鳴ったら、自分が鳴らされたのではないかとビクビクする。

教官に褒められたら、ものすごく嬉しかったし、教官の愛のブレーキには、とても反省したあの感覚です。

自分の教習車にいつまでたっても担当の教官が来てくれなかったら、相当不安になると思いませんか?

そして、やっと登場した教官が、とっても怖そうな人だったら・・・。

「あの教官怖いな。教習所行きたくないな。でも行かなきゃな。」、一難去ってまた一難という感じがしませんか?

アンカー(信頼できる人)がない状態

船が停泊するときに海底に落とす錨(いかり)(アンカー)を想像してください。

アスペルガー症候群や他のタイプの発達障害の子供たちにとって、まるで船のアンカーのように、心のより所になってくれるサポーター(支援者)が、集団生活を過ごす上で、とても重要になります。

担任の先生がその錨になってくれることが、年齢が低いほど望ましいと思います。

しかし、アスペルガー症候群やその他の発達障害のある子供に、アンカーになれる程信用してもらえるのは、そう簡単なことではありません。

我々大人は、「先生」や「教官」などの肩書をまず信用します。

それは、その方が便利であると経験上知っているからです。

怖くても、いけ好かなくても、取り敢えず指示に従ってみようと思えますが、アスペルガー症候群の子供、特に太郎にとっては「取り敢えず信用してみる」ことは、とてつもなくハードルの高いことです。

太郎の3年生のスタートは、完全にアンカーを見失った状態でのスタートになりました。



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